第11話    庄 内 竿」   平成25年03月16日  

 ほんの僅かな小さなアタリでも竹の持つ独特な感度の良さで竿を持つ手にアタリが明確に伝わって来る。そして魚に餌を十分に食い込ませるに足る穂先の柔らかさと魚が餌を食い込んで竿を立て合わせた時に生ずる魚ののりを微妙に迄にコントロールしてくれる感性がたまらない。そしてその後、魚ががっちりと鈎がかりし、魚と一対一の勝負の時が始まる。竹竿には竹竿でなければ味わえない感触が伝わって来る。魚が沖に走れば、竿は満月の如ききれいな弧を描き必死に粘り腰で耐えてくれる。そして魚が弱りかければ、今度は適度な反発力で魚に反応しバレを抑えながら、魚を確実に手前まで寄せてくれる。それが良い庄内竿なのだ。

 庄内竿はひとつとして同じものはない。と云うより自然に作られた竹であるから、工場で作られた製品とは違い、同じ物が有る訳はないのだ。このひとつひとつが異なると云うのが、竹竿愛好家にとって、使いこなすのが難しくもあり、何よりの楽しみのひとつでもある訳だ。これはなにも使い手だけではない。作り手にも同じような竹を使って竿にする場合、工程のちょっとした違いが竿の調子そのものに影響するから面白くもあるのだ。自分で作って、自分が使う。かつて庄内では、これが原則であった。その為武士たちは、良い竿を得る為に庄内中の藪を歩き廻り、名竿になる竹を必死に探し歩いた。自分の為の竿であるから、途方もない手間暇もかけられた。

 中には手が不器用で竿を作れない者もいた訳で、そんな人たちは上手な人に大枚を支払い、貴重な釣竿を手に入れていたと云う。酒井家に残る名竿などはその集大成ではなかろうか?酒井の殿様曰く、名竿は数十年たったものでも、少しも変わらず名竿は名竿であったと云う。根上吾郎氏の著書に出て来る明治の名竿師上林義勝の作った名竿「富士号(三間四尺五寸=675cm・鯛竿と云われた)」等は、作られてから7080年近い竿だったが、昭和40年代になっても実戦で使われていた。だから生前の根上吾郎氏がテレビなどに出ると良く云う言葉があった。「延竿は百年以上使えます。それを三つに切ったり(継竿)、中通しにした竿(庄内中通竿)など1020年もしか使えない!」と。

 細くて堅くて長い竿を一度は作って見たい。それが庄内竿師の永遠の夢であるのだ。